炎上する松本人志さんについて
私は松本人志さんがかなり好きです。今でも毎日通勤中に『放送室』を聞いています。
大ファンというわけではありません。『4時ですよ~だ』も『ごっつええ感じ』も見たことありません。『笑っていいとも!』や『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』、『リンカーン』などで時々見かけていましたが、彼が好きだから見ていたわけではありません。
じゃあどこでこんなに好きになったのかなと思い返すと、やはり『放送室』なのだと思い至ります。学生時代、iPod等のmp3プレイヤーが発売され、YouTubeがサービス提供を開始した頃です。その時に何かの記事を読んだのか、友達に教えてもらったのか、YouTubeにアップされているこの動画が面白いぞということで『放送室』に出会ったわけです。聞いてみると、ただの緩い会話なのに笑いを堪え切れないほど面白いことに衝撃を受け、色々なソフトを組み合わせてmp3プレイヤーで毎日聞きまくりました。通学中、移動中、つまらない授業中、ずっとです。*1
それ以降、私は彼に一目置いています。偉そうに言いますが、本当にそういう感じです。そのような立場から申し上げます。
今回の件は、アイドルが自殺したという事案に対して彼が述べたコメントが、「マッチョ思考」「自己責任論」であり、「弱者に寄り添っていない」「死者やその遺族に鞭打つ行為である」「自殺を考えるほど追い込まれた人間にかける言葉ではない」として炎上している(彼を非難するツイートや記事がたくさん出ている)、というのが私の認識です。
非難している内容に共通する点として、彼の発言の受手として、自殺した本人、遺族、および今自殺しようと悩んでいる方(潜在的自殺者と仮称します)、この3者を想定されているのではないかと思います。
(この3者に対して)「死んだら負け」と言うなんて、酷い!鬼! ということです。
彼が言葉を投げかけているのはそういう方々ではなく、特に今自殺しようか悩んでいない、大多数の普通の人々だと思います。「子どもたち」と言ってしまっても良いかもしれない。
ご存知のように彼には娘さんがいます。小学生くらいでしょう。今回の事件で、娘と重ね合わせてないわけがないんですよ。これから無限の可能性がある子どもたち。そんな子どもたちが大きくなって、夢を追って、その末に自殺してしまう。こんな悲しいことはないですよ。その悲しさを彼も噛み締めてますよ。そうさせた大人たちに憤ってますよ。その上での「死んだら負け」なんですよ。無念、諦念、嘆息。打ち勝たないといけないとか、負けるなとか、そんなこと言ってませんよ。今生きている子どもたち、明るい未来に開かれた子どもたちに対して、「死んだら負け」っていうシンプルな言葉を突き刺しておこうということじゃないですか。これからどんな苦難に遭ってもそのシンプルな言葉を思い出せるように。だからその後もこう言ってるんじゃないですか。
自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。
— 松本人志 (@matsu_bouzu) October 16, 2018
それでも彼を非難する方々はこう言います。
「そうだとしてもテレビは公の場であり、彼は発言力もある。自殺した本人、遺族、および日本社会における潜在的な自殺者にも届き得るメッセージである。」
そうですね。でもそれはあなたが彼を非難する理由にはならない。彼を非難していいのは、ご本人、遺族、潜在的自殺者、この3者だけです。「私は「死んだら負け」と言われて傷ついた、精神的にダメージを受けた」という論理だけが彼を非難し得る。「そういうことを言われて傷つく人もいるんだぞ」って、何も言っていないのと同じですよ。どんな発言にだってそう言えますから。その台詞を松本氏に浴びせることで傷つく人もいるんですから。
結局、一連の炎上で彼を非難している方の中で、彼以上に社会を良くしていきたいという意思を持って発言している方っているのでしょうか。「オレは言い続けるよ。。。」の後には「日本のことを考えていない人間がどんな非難を浴びせて来ても」という気持ちが滲んでいます。それも覚悟なんてカッコいいものではなくて、そういう人間がたくさんいることに対する悲しみと怒りです。
事件自体が悲しく、それに対する反応も悲しいという、二重に悲しいニュースでした。
*1:私の好きなトークにこういうのがあります。
「ファンレターでもな、こういうのが来ることがあんねん。『わたしは松本さんの大ファンです。周りの友達は誰も面白いと言ってくれませんが、私はとても面白いと思います。』・・・これ、うれしいか?俺はな、お前よりも周りの友達みんなが面白いと言ってくれた方が全然うれしいわ!!」
おそらく私が、「松本さんのファンです、YouTubeで毎日聞いてます。」と言っても「そんなのうれしくないわ!」と言われるのは目に見えています。社会人になってからちゃんとCDを購入しましたので、当時のことはお許しください。
名古屋のタイ料理屋「99鶏(ガォガォガイ)」
あるツイートがバズってるのが目に留まりました。最近、「タイ」という文字列には敏感に反応してしまいます。
ネットで店名を調べても全然ヒットしません。オープンしたばかりなのでしょうか。Google Mapではかろうじて出てきました。名古屋は一度しか行ったことがなく土地勘がありません。名古屋駅からは少し離れています。
このツイートの趣旨は『「日本語はわからないからお前がタイ語を覚えろ」というシステム』が斬新であるということで、ツイート(Togetter)に対しての反応も「面白い」という好意的なものです。
自分も当然好意的に反応した人間の一人です。しかし同じツイート主がアップしたメニュー表を見ると、日本語で説明が書いてあるし、フリガナが振ってあるし、おまけに食券制なのですね。つまり実際には一切タイ語を発する必要などないわけです。「普段日本語で注文しているタイ料理が現地語だとこう注文するのね、ふーん」という程度のものです。にも関わらずバズっているのはツイートの「盛り方」が上手だったのでしょうか。
それはそれとして、気になったのがメニューとその価格です。
麺類、ガパオライス、タイカレー、トムヤムクンは日本人向けタイ料理レストランとして当然として、ソムタム、ヤムウンセン、ガイヤーンあたりのイサーン料理が入ってくるのは嬉しいですね。メニューの1番目にソムタムを持ってくるところが確信犯です(何のだ)。
ソムタム850円、ガイヤーン850円。ビールを付けたら+650円、カオニャオが+550円・・・トータル2,900円、850バーツくらい。一見高く感じますが、各メニューの量次第ですね。ソムタムとガイヤーンが2人でシェアできる量であれば素晴らしいです。むしろ日本経済を心配するレベルです。タイで食べるのとさほど変わらないので(もっと安く食えるとこ沢山あるぞ!ってのは勿論ですが、バンコクでは驚くほどの価格設定ではないという意味です)。
これからもタイ料理がガンガン日本に進出してくれることを祈ります。
国歌斉唱 in バンコク
何年か前に、国歌斉唱は義務なのか、強制させることは個人の権利侵害になるのかといった議論がありました。まだ問題になってるんでしょうか。大して興味がないので詳細は知りません。
さて、朝8時と夕方6時が私のタイで好きな時間です。この時間になると、公共施設(公園や駅など)ではスピーカーから軽快なラッパの音が聴こえてきます。カウントダウンのビープ音が響くと、国歌が流れます。国歌が終わるまでの約1分間、市民はその場に停止しなければなりません。警官が常駐している公園では、警官が笛を鳴らし、寝ている市民は起立させられますし、ランナーは止められます。
初めてこの光景を見た日本人は皆、少なからず緊張するはずです。独裁国家のような匂いがし、さっきまで当たり前に享受していた自由がこのひと時は権力に押さえつけられているような気分がします。
しかし慣れてくると、この光景がなかなか良いものに思えてくるのです。その一時だけ、皆がタイという国に思いを馳せる。喧騒が一瞬止まる。国歌が終わると皆なんとなくお辞儀をして、生活に戻っていく。このシークエンスがたまらなく美しく見えてきます。
タイに旅行に来る人には、是非夕方18時に公園に行ってみるよう勧めています。日中の殺人的な日差しが西日に変わり、涼しい風が吹くこの時間帯の国歌斉唱は格別の風情があります。止まらなかったら撃たれたり逮捕されるわけでもないし、頭を掻いている人やケータイを見ている人もいます。下に貼ったように動画を撮っても怒られはしません(露骨に警官の目前でやったらダメでしょうが)。
楽しいムーミン一家 ニンニの物語から考える虐待 (第9話 姿の見えないお友達 / 第10話 笑顔がもどったニンニ
「皮肉」というマルトリートメントと、「姿が見えない」という傷の負い方
トゥーティッキ「例えばムーミンが遊んでいて花瓶を割ってしまったら、ママはどうする?」ムーミン「そりゃ怒られるさ。次は気をつけなさいとかなんとか」トゥーティッキ「そうね、それが当たり前ね。でもその叔母さんはこう言うの。『ダンスが下手だからって、花瓶に当たることはないじゃない』って」ムーミン「なんてイヤな言い方なんだ!」
ミイ「それで、ニンニはその叔母さんに嚙みついてやったの?」トゥーティッキ「いいえ。でも段々姿が見えなくなってしまったの。声もよ。」
ミイのボケ的な質問でシリアスになりすぎないようにされていますが、相当に重いシーンだと感じました。子どもの内面から発せられるあの輝かしい光が徐々に弱々しくなり、最後に消えてしまう、そんなイメージが浮かびます。また「消える」という言葉は、「死」すらも想起させます。
少しずつ、回復へ
スティンキーという悪意
ママの作ったワンピースとリボンを着て、顔以外はすべて現れ、か細いながら声も出るようになりました。ムーミンたちと森でかくれんぼをして遊びます。このまま回復に向かうかと思いきやスティンキーの再登場。
"Stinky"という言葉の通り、とにかくこいつは嫌な奴なのです。ニンニを言葉巧みにおびき出し、洞穴に突き落として岩で出口を塞いでしまいます。作品を通して色んな回でスティンキーは悪さをしますが、おそらくこの回が最も残酷です。ちょっとやりすぎじゃないか、とさえ思います。一緒に見ていたウチの子どもは半泣きでした。
悲嘆にくれるニンニ。探し回るムーミンたち。洞穴の近くに来る。蚊の鳴くような声で助けを求めるニンニ。それに気づくムーミン。
ニンニ「助けて・・・」
ムーミン「ん?今何か聞こえなかった?」
ニンニ「助けて・・・ムーミン」
ムーミン「助けてって聞こえる。おーい!ニンニ、どこだー!」
ニンニ(ムーミンが近くにいることに気づく)「ムーミン・・・!私はここよ・・・!」
ムーミン「どこだニンニ!声が小さくて聞こえないよ!」
ニンニ「私はここよ・・・!」
ムーミン「もっと大きく!」
ニンニ「私はここよ!」
コール&レスポンスの末、とうとうニンニは腹の底から大声で助けを求めることができます。「私・・・こんな大きな声、生まれて初めて出した」と自分でも驚くほど大きな声です。その言葉が「私はここよ!」というのも素晴らしい。否定された自己、消えた姿と声。その状態から世界に向かって「私はここにいる!」と主張できるようになったのです。 無事ムーミンたちに助けられ、ムーミン家に帰るニンニ。まだ顔は見えません。でも、「それでもすごいじゃないか、大きな声も出たし、今度はスティンキーにいじめられても姿が消えることはなかったんだから。もう少しだよ。」とパパが鼓舞します。目に見えた成長だけでなくて、子どもが「できた」ことを認めてあげること。これが子どもには嬉しいし、安心できるんですね。一日たっても顔が見えるようにならなかったことを一番残念がっているのはニンニに決まっているんです。
笑顔を取り戻させたもの
皆で浜辺へ遊びに行きます。海を眺めて座っていたニンニがしくしく泣き出します。
ママ「どうしたの、ニンニ?」
ニンニ「海があまりにも大きいから。」
海があまりにも大きくて泣く、という表現に若干クサさを感じつつも、その次が面白い。今度はママが地平線を見やりながら黄昏ます。
パパ「どうしたの、ママ?」
ママ「私には海を眺めて感動して泣いたり、心ときめいたりするようなことが随分なくなってしまったわ。」
ボケ役でもあるパパはこれを「ママはドキドキするような体験をしたいらしい。よし、海に突き落としてあげよう」と超解釈します。後ろからそろりそろりと近づいていく。それに気づいたニンニは駆け出し、パパの尻尾に思い切り噛みつきます。
ニンニ「ママに酷いことをしようなんて、許さない!」
声を荒げて一喝すると、遂に顔が現れます。正義感と力強さに満ちたその表情には神々しさすら感じられます。顔が見えるようになったことを皆で喜びます。笑顔を取り戻させたのは、他者への愛と、愛する人のために行動する勇気だったのでした。ニンニとママが抱き合うシーンは涙なしには観られません。
エピローグ
元気になったニンニと会えてトゥーティッキも喜びます。例の叔母さんはまたニンニと住みたいと言っているようで、連れ戻しに来たのでした。ここは大人になった今では不安になるシーンです。また虐待が繰り返されるのではないか。でも、ここでは子どもへのメッセージだけを受け取ることにします。勇気と愛で顔を取り戻せたのだから、もう意地悪な叔母さんなんかには負けないぞ!ということです。それを象徴するように、帰り道で向こうからニヤニヤ歩いてくるスティンキーに向かって思いっきりアッカンベーをして、「フンッ」と去っていくのです。
そうそう、ニンニを洞穴から救い出した後、怒ったムーミンたちはスティンキーを捕まえて洞穴にぶち込むのでした。
ムーミン「ニンニが受けた思いをお前も受けろ!」
ちょっとやりすぎじゃないか、とここでも思いました。ウチの子も同じように半泣きでした。上で書いたように最後のシーンで何事もなく登場しているのでまあ何とか出られたんだろうということは分かりますが、勧善懲悪・因果応報といったイデオロギーが容赦なく描かれて地上波で放送されていたのはこの時代だからできたのでしょう。今じゃ「スティンキーがかわいそう!」という批判を受けることは想像に難くありません。良し悪しは別として。
BTS(バンコクスカイトレイン)が死んでいます
25日(月)朝、いつものようにBTSに乗ると、ドアが閉まりません。どうやら先が詰まっているようです。たまにあることだ、5分くらいで出発するだろう、そのときはそう思いました。思った通り5分後に出発しましたが、次の駅でまた同じ状況に。その次の駅でも。乗り換え駅に着いた時には予定の30分遅れでした。
嫌な予感を持ちながら乗り換えると、今度はすぐドアが閉まりました。よかった、こっちの線は大丈夫だ、と思ったのも束の間、そのままの状態で一向に発車しません。
おいおい、まさか、マジかよ、発車しないならなぜドアを閉めた。エアコンは効いているけれど東京の満員電車に勝るとも劣らない乗車率。減っていく酸素。充満する匂い。誰だ朝からニンニク食べた奴は。マズい、クラクラする。イヤホンを外し、吊り革から手を外して腕を下げ、目を閉じて何とかそれをやり過ごす。
ようやく発車した。次の駅でたまらず降りる。案の定、ドアはすぐに閉まりそのまま停車を続ける。ベンチで風に当たりながら10分ほど待つと次の列車が来た。なんとか次の駅まで耐えられるだろう。この運転手・車掌はバカでないことを祈りながら乗り込む。よかった、ドアは閉まらない。
ついつい「だ・である」調になってしまいましたが、こうして月曜日はいつもの1時間遅れで会社に着きました。帰りの電車も遅延していたようですが、朝ほど酷くはなく、15分遅れほどで帰宅しました。この位は誤差の範囲内です。
ところが今朝も、列車に乗り込むと同じ現象が。一駅乗って、迂回ルートをとることにしました。といってもバイクタクシーに乗るという荒業で迂回でもなんでもありません。駅では「遅れています、申し訳ありません」のアナウンスが続くだけで、代替輸送手段を用意したり、乗車券の払い戻しなどの手続きをしたりするわけもありません。
ニュースにもなっているようです。金曜日までには解決するだろうとのこと。いやあと3日もあるんですけど。暗澹たる思いとはこのことです。
(追記:水曜日朝には平常運転に戻りました。)
さて、今回久しぶりに満員電車に閉じ込められるという体験をしました。私は都内に通勤しており、年に何回かはこういうことがありましたが、バンコクに来てからは初めてです。改めて感じたのは、その圧倒的なストレスです。貧血を起こす女性や、パニック障害になったという知人の知人がいる程度で、自分自身は今まで「しんどい」以上のダメージを受けたことはありませんでした。
今回は「あ、気を抜いたらヤられる」というところまで行きました。これが仕事の疲れやストレスが溜まっている状態であればヤられていてもおかしくありません。「万全の状態でない」ことなんてむしろ通常でしょうし、「ちょっと調子悪い」ことだってしょっちゅうです。女性はそれが月一で来るわけです。そのタイミングでこんな状況になったらそりゃ倒れます。むしろ都内に通勤していたら毎日目撃していてもおかしくないんじゃないかとすら思います。実際にはそこまでではないので、大したものです(観測範囲の問題に過ぎないのかもしれませんが)。
p.s. ウィキペディアでトイレの落書きがありました。消してくれ。
(追記:こちらも水曜日朝に消されていました。)
児童相談所は人手不足か?ざっと計算してみる
1.子ども=15歳未満の統計です。児童相談所は17歳までを対象とするようですが、統計データがないので。これが分子。
2.県別に配置されている児童相談所、児童福祉司、児童心理司、スーパーバイザーの数は厚労省が公表しています。
児童福祉司が基本的に対応に当たり、スーパーバイザーが経験を積んだいわば児童福祉司の上級職。児童心理司は心理的な専門家(カウンセラー、心理療法士)。といったイメージで理解しました。これを合計して「子どもをサポートする大人」と考えて分母に持ってきます。
3.大人一人あたりがサポートする子どもの人数が多い順に並べると下表のようになります。合計すると1500万人の子どもを5千人の大人で支えていることになります。大人一人あたり3千人です。
4.全体としてどうかは置いておいて、今回問題の起きた東京を見てみると、確かにかなり上位に位置しています。一人あたり3800人強。一方の香川は3000人。この差が両児童相談所間の対応の差として「しょうがない」ものなのかどうか。ここでは「数」を議論しているので、目黒区の事件にフォーカスするのではなく、各県で起きた虐待数、それに対する児童相談所の対応数、その内残念な結果になってしまった件数、といったデータで分析すべきなのですが、数字に表れてこない虐待もあるでしょうから、ここではこれ以上突っ込みません。
5.子どもの人口が東京に次いで多いのは神奈川、大阪、愛知、埼玉、千葉と続きます。このうち千葉、大阪、神奈川は香川県よりも下位に位置します。全国平均より下です。千葉県は子育て世帯に優しく、神奈川県は冷たいという勝手なイメージがあったので意外でした。
A(千人) | B(人) | C | D | E=B+C+D | F=A/E | |
---|---|---|---|---|---|---|
県 | 15歳未満人口 | 児童福祉士 | 児童心理司 | スーパーバイザー | 合計人員 | 一人あたり担当児童数 |
栃木 | 245 | 33 | 15 | 9 | 57 | 4,298 |
鹿児島 | 217 | 34 | 14 | 3 | 51 | 4,255 |
奈良 | 163 | 25 | 10 | 6 | 41 | 3,976 |
佐賀 | 113 | 17 | 9 | 3 | 29 | 3,897 |
宮崎 | 146 | 23 | 11 | 4 | 38 | 3,842 |
東京 | 1,542 | 244 | 107 | 51 | 402 | 3,836 |
岐阜 | 258 | 44 | 16 | 8 | 68 | 3,794 |
茨城 | 355 | 60 | 25 | 9 | 94 | 3,777 |
山形 | 130 | 21 | 11 | 3 | 35 | 3,714 |
福井 | 101 | 17 | 9 | 3 | 29 | 3,483 |
沖縄 | 247 | 47 | 13 | 11 | 71 | 3,479 |
愛媛 | 164 | 32 | 11 | 5 | 48 | 3,417 |
群馬 | 241 | 37 | 25 | 9 | 71 | 3,394 |
長崎 | 173 | 29 | 14 | 8 | 51 | 3,392 |
熊本 | 237 | 40 | 24 | 6 | 70 | 3,386 |
福島 | 220 | 42 | 17 | 6 | 65 | 3,385 |
富山 | 124 | 22 | 11 | 4 | 37 | 3,351 |
三重 | 226 | 40 | 21 | 7 | 68 | 3,324 |
埼玉 | 899 | 184 | 51 | 37 | 272 | 3,305 |
広島 | 368 | 69 | 28 | 16 | 113 | 3,257 |
福岡 | 675 | 126 | 51 | 32 | 209 | 3,230 |
静岡 | 464 | 79 | 47 | 19 | 145 | 3,200 |
愛知 | 1,010 | 210 | 65 | 42 | 317 | 3,186 |
山口 | 164 | 27 | 18 | 7 | 52 | 3,154 |
兵庫 | 692 | 130 | 71 | 22 | 223 | 3,103 |
香川 | 120 | 23 | 11 | 5 | 39 | 3,077 |
滋賀 | 200 | 36 | 19 | 11 | 66 | 3,030 |
新潟 | 265 | 60 | 17 | 11 | 88 | 3,011 |
北海道 | 588 | 118 | 61 | 22 | 201 | 2,925 |
長野 | 260 | 46 | 33 | 10 | 89 | 2,921 |
千葉 | 755 | 154 | 83 | 22 | 259 | 2,915 |
山梨 | 99 | 21 | 9 | 4 | 34 | 2,912 |
岩手 | 144 | 32 | 14 | 4 | 50 | 2,880 |
大分 | 143 | 26 | 18 | 6 | 50 | 2,860 |
岡山 | 243 | 47 | 30 | 10 | 87 | 2,793 |
宮城 | 280 | 49 | 43 | 12 | 104 | 2,692 |
石川 | 145 | 31 | 21 | 3 | 55 | 2,636 |
大阪 | 1,069 | 278 | 84 | 54 | 416 | 2,570 |
神奈川 | 1,122 | 284 | 106 | 53 | 443 | 2,533 |
秋田 | 101 | 22 | 14 | 4 | 40 | 2,525 |
徳島 | 85 | 21 | 10 | 4 | 35 | 2,429 |
和歌山 | 112 | 30 | 13 | 6 | 49 | 2,286 |
青森 | 141 | 39 | 19 | 9 | 67 | 2,104 |
京都 | 308 | 94 | 42 | 16 | 152 | 2,026 |
島根 | 85 | 22 | 15 | 6 | 43 | 1,977 |
鳥取 | 72 | 21 | 10 | 6 | 37 | 1,946 |
高知 | 80 | 29 | 13 | 10 | 52 | 1,538 |
データ出所
A:統計局
https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2017np/index.html
B~D:厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000174777.pdf
厚生労働省もこういった統計情報はPDFではなく編集しやすい形で公表してくれないですかね。それとも探せばあるんだろうか。
骨太の方針における虐待防止策
目黒の事件を受けて、「親に対する厳罰化」と並んで叫ばれているのが「行政の権限強化」です。「児童相談所が悪い」という攻撃的な主張も散見されます。
他方で当然、擁護する主張もあります。
職員は、権限があると同時に、それを濫用しないよう戒める必要もあると考えます。可能性があるからと全て保護していたのでは、子どもから“保護者を取り上げること”にもなるのです。職員たちが常にグレーゾーンで綱渡りをしている
反対に“児童相談所が救ってきた命もある”ことも事実です。
業務が集中しすぎていて機能不全を起こしているという指摘も。
リソース不足は以前から言われてきた問題です。
さて、6月15日に「骨太の方針」が閣議決定されました。
虐待について以下のように言及されています。冒頭の一文は今回の事件で追加されたのでは、と思ってしまいます。真剣に取り組んでもらいたいです。
子供の命が失われる痛ましい事件が繰り返されないよう、市町村、児童相談所の職員体制及び専門性の強化、適切な情報共有など地方自治体間等関係機関との連携体制の強化や適切な一時保護の実施などによる児童虐待防止対策、家庭養育優先原則に基づく特別養子縁組、里親養育支援体制の整備、児童養護施設等の小規模・地域分散化、職員配置基準の強化を含む高機能化及び家庭養育支援への機能転換などの社会的養育を迅速
かつ強力に推進する。