岩波文庫を読めますか

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バンコクの日本人居住区には古本屋が2軒あります。僕は新品の書籍を扱う書店(以下、書店)よりも古本屋が好きです。安いし、探す楽しみがあるからです。書店に行っても全ての本があるわけではありませんが、もし目当ての本がなかった場合、それは在庫取り扱い期間が過ぎたというだけの理由に過ぎないことが大半でしょう。無味乾燥です。それに比べて古本屋の場合は、たまたまそのときそこになかっただけと考えることができます。誰も手放さない良い本なのかもしれないし、棚に並んだらすぐ売れてしまう良い本なのかもしれない。その両方かもしれない。僕が本屋で探すのは読んだことのない本なので、誰かが読んだという事実は少なからず僕の購入を後押ししている気がします。

今日はその古本屋をハシゴしました。一軒目はサン・ブックス。和書8割、洋書2割で、全体の7割が未分類のまま並べられているのでとても探しにくいです。探すというより出会うことを期待して行くべきところです。海外文学が1つの棚にまとめられている中に伊藤計劃と円城塔が並んでいたりします。これはこれで正しいようにも思います。あと至る所で林真理子の「野心のすすめ」が目に入ってきます。バンコクには野心家が多くいらっしゃる模様です。
二軒目はキー・ブックス。今は改装中で和書10割。作家名順にきちんと整理されており、新書はもちろん、歴史小説や教養系の文庫(岩波とかちくまとか)も分けて陳列されています。僕の愛するブックオフと同じ感覚で物色できます。

サン・ブックスで保坂和志「プレーンソング」とちくま文庫「よいこの君主論」を買ったので、キー・ブックスは買いたいと思っているハヤカワ文庫「ファスト&スロー」があるかどうかをチェックするためだけに寄りました。残念ながらなかったのですが、海外文庫棚の隣の岩波文庫を見やると、「意識と本質」が目に入りました。副題「精神的東洋を索めて」に惹かれてアマゾンの欲しいものリストに入れていた本です。2016年の版で、状態も最高。これは買いだな、と思いながらページを繰ったのですが、困ったことに内容が頭に入ってきません。手元にある本がやけに遠く感じる。文字が小さく感じる(これは事実でしょうけど)。本を棚に戻し、店を出て、ああだめだ、もう三十路の俺には岩波文庫は読めないのだ、簡潔に問いと答えが提示されて、いかにも実世界に役に立つ本しか受けつけないのだ、との暗澹たる思いでトボトボと歩きました。

このことをブログに書こうと思った時には踵が90度返りました。価格がリーズナブルだったことを思い出すと、さらに90度踵を返し、200バーツ(約600円)と引き換えに、読んでも頭に入ってこない、何の役にも立たない本を手に入れました。でも僕の判断は間違ってないはずです。難しい本を、読んでも楽しくもない本を、カッコつけて、背伸びして、分かった気になって読む。そのカッコ悪さやダサさがなくなったら、その方がカッコ悪いと思うからです。帰り道は威風堂々と歩いたのでした。