「もうおねがい ゆるしてください」死亡した5歳女児のノート

www3.nhk.or.jp

 

昨日目にしたニュース。タイトルが視界に入っただけで、悲しみと怒りとやるせなさでどうかしそうだったので、本文は読んでいませんでした。今日勇気を持って全文読みました。涙が止まりませんでした。父親(継父)と母親には今でも怒りが湧きますが、別の角度からも考えます。この子は、我々が殺したのです。私が殺したのであり、あなたが殺したのです。

この記事から時系列を整理すると以下のようになります。

 

  • 2013年~2016年頃 継父・母親 交際開始。結婚後、女児を含めて3人で同居。
  • 2016年12月 香川県児童相談所 女児を一時保護
  • 2016年12月~2017年3月前後 香川県警 継父を書類送検(傷害の疑い)
  • 2017年2月 一時保護を解除 自宅に戻る
  • 2017年3月 香川県児童相談所 女児を一時保護
  • 2017年7月 一時保護を解除 自宅に戻る
  • 2017年8月 8月までに女児は家に戻る。香川県のある医師が児童相談所に連絡(体にあざがあるの見つけた)。児童相談所は、家庭訪問や両親と面接をした。虐待の問題に詳しい専門の病院を紹介した。母親はその病院に女児と数か月通院していた。
  • 2017年12月 継父 東京・目黒に転勤
  • 2018年1月 母親・女児 目黒に引越し、同居開始。このとき母親は児童相談所に転居先を知らせることを拒否した。児童相談所は善通寺市と連携し、転居先を確認。品川の児童相談所に資料を送る。
  • 2018年2月 継父 逮捕・起訴(顔を殴るなどして大けがをさせた)。品川の児童相談所が訪問。母親から「関わってほしくない」と言われる。2度訪問したがいずれも女児には会えず。
  • 2018年3月 女児死亡 継父・母親逮捕(保護責任者遺棄致死)

 

児童相談所、警察、病院が関与していますが、それぞれその都度適切な対応をとっているように見えるのです。もちろん「もっとできたことがあるのでは」という思いがないことはないですが、それはこういう結果になったから吐ける言葉であって、現場の方々は出来る限りのことをしたのだろうと思うようにします。

それに対してあなたは、我々は、何をしていたでしょうか。正確には分かりませんが、2016年1月から虐待されていたとしましょう。この子は当時3歳くらいでしょう。3歳の子が虐待されている間、2016年1月から2018年3月の間、何をしていたでしょうか。子どもたちに対して、幸せに、健やかに育ってほしいと願ったことはありますか。自分の子どもだけじゃありませんよ。兄弟親せきの子、街で見かけた子、テレビで見かけた子、子どもという存在全てに対してです。そしてその子どもたちが「幸せに、健やかに」育つように、何か具体的な行動をしましたか。自分だけ、あるいは自分の周りの大人だけのことばかり考えていませんでしたか。私は胸を張ってNoとは言えません。ついつい自分の利益や都合で考えたり行動したりしてしまいます。子どもというものは無条件に愛され、幸福を願われるべき存在なのに、そのような存在として扱うべきだという意識が我々大人には欠けがちだということを忘れてはなりません。

 

(追記)

下記記事を受けて上記時系列を一部修正(赤字)。

headlines.yahoo.co.jp

 

専門家として解説している後藤啓二さんという方は、元警察庁で現弁護士、「Think Kids」というNPO法人の代表を務めるなどして児童虐待問題に対して法律・行政・政治の観点から取り組んでおられる方のようです。

www.thinkkids.jp

 

この方の主張は「児童相談所が悪い」に集約されます。その改善のための働きかけもしているのに一向に改善されない、改善できるに決まっているのに、ということです。この問題にずっと取り組んでこられた方の意見ですから、相応の重みを持って耳を傾ける必要があると思います。

他方で、自分としてはやはりもっと当事者意識を持つ必要がある問題だと再認識しました。周りの大人たちはどう対応すれば良いか、という質問について後藤弁護士は以下のように述べています。

 

やはり虐待に気づいたら通報するということなんですけれども、今回の事件でも近所の方は何度も通報しているんですよね。それを全く活かせない児童相談所、ここに最大の責任があると思うんですね。住民の通報を児童相談所が抱え込むことによって死蔵されているんですね。活かされていない。要するに児童虐待は一つの機関だけで対応できるほど甘いものではない。それを肝心の児童相談所が感じていない。私は周囲の方は今回非常に良く反応していただいたのではないかと思うんですけどね。

 

強調したように、これは社会の問題だと思います。ここで、「社会」という言葉を「私たち自身」と置き換えないといけない。何を言っているんだと思われるかもしれませんが、自分が社会を作っている、子どもたちの幸福に責任を負っている、そういう意識を持ち続けないといけません。後藤弁護士はこの問題を突き詰めて考えた上で、児童相談所にその根源を見出しているのだと思いますが、私はその児童相談所を追求する段階にないので、まずはこのような問題意識を持つことから始めようと思います。

 

今後も追記するかもしれませんが、当面この記事のタイトルはNhkのタイトルをそのまま拝借しておきます。この一文だけで、忘れがちな問題意識を取り戻せるからです。

 

冒頭のNhkの記事についてブコメに目を通し、分類してみました。感情的なコメント、何かすべきだがどうしたら良いか分からないというコメント、こうすべきだというコメント、諦めや傍観的なコメント、その他の5分類です。重複も一部あります。基準は主観です。読みながら共感して感情的になりながら分類したので意味のないグラフかもしれませんが、この中から「こうすべき」というコメントについて、改めて整理して考えてみようと思って作業しているところです。

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