Peeとのランチ

黒字:自分

赤字:Pee(タイ人の友人)

会話は基本的に英語です。

 

今日はトムヤムラーメンが食べたい。知ってる?トムヤムラーメン
知らないわけないでしょw
どこで食える?
んーと、電車乗らないとだな
いや近くのフードコートにあるっしょ
あーそうかも。キット、アル。合ってる?
合ってる合ってる。センレック※が食べたいんだ ※細い米麺のこと。ツルシコでうまし。

キット、アル。ほら、あった。

ここセンレックなくね?あ、あるわ。これメニューごとに値段が2種類あるのは何が違うの?
えーと、麺の種類だな。センレックは安い方
OK。じゃあセンレックで、具はシーフード。
俺は豚肉にするわ。麺はラーメン※で。

 

(食べながら)
どう?
うまいよ。そっちは?
うーん・・・これ(豚肉)以外はおいしい。
いやそれが食いたくてそれにしたんじゃねーの?w
違うよ。
じゃあ何でそれにしたの?
うーん・・・#$%&’()”(タイ語で何か言ってる)
まあいいや
ある一部を除いて、概ね良いとか概ねおいしいとか言うとき、日本語で何て言う?
「ダイタイ」かな。Almost=ダイタイ。
コレハ、ダイタイオイシイ。
Correct。はーうまかった。
ナンデ、ハヤク、タベタ?
ハヤクナイ。
ハヤイ。
(めんどくせえな)辛かったからだよ。
辛い?カンケイナイ。
あるだろ。辛いと箸進まない?
んー・・・そんなことないと思うけど・・・
まじか。じゃあ文化の違いだわ。
そういう問題?

バンコクが東京より優れていると言い切れるただ1つのこと

多くのタイ駐在員の例にもれず、先週から今週にかけて日本に一時帰国してる。タイでは4月中旬に旧正月があるから。水かけ祭り、ソンクランと呼ばれる。

今回の日本滞在は1週間程度。特に帰りたかったわけではないが、子供が春休みだったり、タイでどこかに行く計画もなかったりで何となく帰ることにした。駐在してから一年弱で初めての帰国。

驚いたのは、帰ってきたなあ~~~っていう感慨が薄かったこと。俺は全然タイでタイらしい生活をしてないんじゃないかって逆に落ち込んだくらい。1日1食は和食だし、毎朝テレ東のWBSを見てるし、会社には日本人がいるし、町を歩いても必ず日本語を目にするし。そういう生活が俺を日本から遠ざけていないんだなっていう変な反省をしたよ。改める気はないけど。

タイに駐在や出張で来ている日本人と話すと、日本は「きれい」「食べ物がおいしい」「店員(や従業員、運転手とか)がちゃんとしてる」っていう対比を多く聞く。住・食・人の点での日本讃美。衣についてはタイに軍配が上がる。「一年中Tシャツなのはいいよね」と。

概ね同意だよ。食べ物は別にタイはタイでおいしいし、人っていう意味では俺はタイ人のこと結構好きだけど、日本がいいってのはまあ分かる。

でも今回決定的に、致命的にタイが優れている点を発見した。湿度だ。東京のドライっぷりは半端じゃない。東京砂漠っていう言葉は伊達じゃない(意味違うけど)。すぐに風邪ひいたし、それが他人にうつるし、肌はカサカサになった。寒いとか暑いとかじゃない、東京で自分が感じていた不快のうち、これが大きな原因だと確信したよ。寒いのが嫌だったんじゃない、乾燥が嫌だったんだ。

 

なぜバンコクに?

偶然だね。ほんとに。

俺が身を置いてる業界は比較的海外に行きやすいというか、各国で汎用性があるっていう特徴があるのね。まあ財務とか会計とか税務とかそっち方面。金にまつわるエトセトラ。学生時代はそっち方面毛嫌いしてたんだけど(銀行員とか証券マンとか、金を扱う人間にって汚く見えない?)、ふとしたきっかけで興味が持てて就職。詳しくはいつか気が向いたら書く。

その業界内でもとくにうちの会社は海外志向が強い。海外に行きたいからこの会社を選びましたって人もいるようなとこ。俺は別にそういう志向はなかったけど、まあせっかくそういう会社にいるんだから機会があれば行ってみたいなーくらいには思ってた。でも建前上は「海外行きたいです!」って言ってた。(「別にこのまま日本でいいです」って奴よりヤル気あるように見えるじゃない?)

ヤル気があるように見えるってのは大事なことで、実力とは関係ないところで偉い人たちの見方が変わるように思う。「海外行きたいんだろ?タイだったら今行けるけどどうだ」ってある日いきなり話が来たからね。白人社会より東南アジアがよかったから飛びついた。1日時間もらって家族会議。面白そうだからって行くことにした。子供は離乳食が終わったくらいかな。

よくよく話を聞いてみると、今までこんな若い人間をタイに駐在させたことはないらしんだな。既に数名駐在してるんだけど、全員40代。どの人の後任でもなく、何ができるかも分からない青年がいきなり来た、って感じだったらしい。何しに来たのか?何ができるのか?を模索し、説明する日々が続いた。いやあんたらの誰かが呼んだんじゃないのか?聞いても誰もYesと言わない。大丈夫かこの会社。

それでも何だかんだでバカではなさそうだと思ってもらえたのか、徐々に身の置き場が定まっていった。思い返すと、誰が呼んだか分からない、その曖昧な責任の所在のおかげでタイに来れた気がする。

そういう偶然で、タイにいます。